サウスシー・バブルとは?バブルの語源となった18世紀イギリスの経済危機

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サウスシー・バブルは南海泡沫事件とも呼ばれ、ミシシッピ計画によるフランスのバブルと同じ頃、イギリスで起きた経済危機です。この事件は、経済用語としてのバブルの語源となりました。

アイザック・ニュートン卿の肖像画

科学の歴史にその名が燦然と輝くアイザック・ニュートン卿は、このバブルで2万ポンド(現在の価値でおよそ1億円以上)もの損失を被りました。この出来事は、ニュートンほどの天才であってもバブルとその崩壊を見抜くことは困難だということを教えてくれます。では、ニュートンまでも巻き込んだサウスシー・バブルとは一体どういったものだったのでしょうか。

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サウスシー・バブルの流れとその崩壊

サウスシー・バブルの背景と展開

当時のイギリスは、スペイン継承戦争の頃に生じた債務が財政を圧迫していました。政府の債務を整理し、財政危機を解決するためにある会社が設立されました。それがサウスシー会社です。サウスシー社が利益を得る方法は、アメリカ大陸とスペイン領での貿易を独占的に行うというものでした。政府債務の引受けを増額するごとにさらなる株式の発行が許可され、ついには政府債務の全額を引き受けることになります。それほどこの事業は有望視されていました。

こうして期待される企業が発行する株式に、階級を問わず多くの人々が飛びつきました。その結果、1720年1月に約128ポンドだった株価は、6月には1000ポンドを超えるほどに急騰しました。半年足らずでおよそ10倍という驚異的な暴騰でした。

ブームに便乗した者と政府の対応

この投機ブームに便乗しようと多くの株式会社が設立されました。まともな目的を持った会社もありましたが、中には詐欺的な会社もあり、永久機関を開発する会社や「大いに利益になるのだが、それが何であるかは誰も知らない」といった会社もありました。

政府は、このような会社の乱立を規制するためにバブル法(泡沫会社規制法)を制定し、会社の設立を禁止しました。すると株価の暴落が起こり、絶頂期から数ヶ月で株価は当初の水準に戻り、バブルは崩壊しました。

そしてバブル崩壊

サウスシー・バブルの崩壊により、あらゆる株価が暴落し、イギリス経済は深刻な不況に陥りました。例によって株価の維持を試みたり、犯人探しが行われましたが、結局は多くの破産者と自殺者を生み、刑務所行きになる人もいました。この出来事はイギリス人の心に株式会社への不信感を生み出し、長い間それは払拭されなかったといわれています。

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